日本円と同様、対ドルで下落を続けるインド・ルピーの背景について、インド工科大学デリー校(IIT Delhi)経済学教授であり、ハイデルベルク大学南アジア研究所の客員研究員、Jayan Jose Thomas氏による、分かりやすく解説した記事を見つけたので、抄訳している。
Why is the Indian rupee falling?
1年前にはおよそ85ルピー前後であったルピー対ドル為替レートは、今年5月に96ルピーを突破、急激な下落を見せている。
インドは長年にわたり、物品輸入(特に石油)が輸出を上回る貿易赤字を抱えてきた。
ただし、この物品貿易赤字は、主に、ソフトウェアを中心とするサービス輸出による外貨流入や、西アジア諸国などで働く出稼ぎ労働者からの大規模な送金による、サービス収支などの「見えない取引(インビジブルズ)」の黒字によって部分的に相殺されている。
それでも、物品貿易収支とインビジブルズ収支を合算したインドの経常収支は、全体として赤字状態にある。
インドが海外へ支払う外貨額と、海外から受け取る外貨額の差である経常収支の不足分は、主として外国投資や借入など、資本収支による流入によって補われてきた。
このため、経常赤字以上に資本収支黒字が大きければ、その余剰外貨は外貨準備高へ積み上げられる。
国家の外貨準備高は、家計における貯蓄のように重要な存在である。
外貨流入が不足する時期には重要輸入品の支払いに使われ、資本流出が過度に拡大した際には、自国通貨の価値を守るためにも利用される。
外国直接投資(FDI)は主に新設・既存工場や事業への投資であり、そのため受け入れ国との結び付きが比較的強い。
一方、株式や債券の購入を伴う外国ポートフォリオ投資(FPI)は、投機性が高く、極めて変動しやすい。
ポートフォリオ投資家は短期的な金融利益を求めて流入し、リスクの兆候が見えたり、他国でより高い利回りが得られたりすると、すぐに撤退する。
FPIが流入すると株式市場は活況を呈するが、流出時には深刻な打撃を残す。
資本流出とは、投資家がルピー建て資産を売却し、ドル建て資産へ資金を移すことであり、その結果、ルピー需要と為替レートは急落する。
インド・ルピーが急速に下落した時期には、いずれも貿易収支の悪化、FPI流出、あるいはその両方が見られた。
具体例として、2013年4月〜9月(54.4→63.8)、2018年1月〜10月(63.6→73.6)、2020年2月〜4月(71.5→76.2)、2022年1月〜10月(74.4→82.3)、2024年9月〜2025年2月(83.3→87.1)、さらに2025年5月から始まった最新局面(85.2→96)が挙げられる(Chart 1)。
最近のルピー下落は主として、地政学的緊張の高まりや米国金利上昇を背景に、外国投資家が安全資産を求めてインド市場から撤退したことによるものである。
ルピー安はインド経済に大きなコストをもたらす。
たとえば、1バレル100ドルの原油を購入する場合、為替レートが1ドル=85ルピーであれば8,500ルピーで済んだが、現在では9,600ルピーを支払わなければならない。
その一方で、ルピー安は輸出促進効果も持つ。
1,200ルピーのシャツは、現在の為替レートでは米国市場で12.5ドルで販売できるが、1ドル=80ルピーなら15ドルとなる。
ただし、「インド製造業には需要・供給両面でさまざまな制約が存在する」※ため、ルピー安だけで輸出が大きく伸びるとは限らない。
インド準備銀行(RBI)は、為替レートが極端に下落するのを防ぐため、市場介入を行っている。
外国投資家がルピー建て資産を売却してドルへ逃避する際、RBIは保有するドル(あるいは米国債)を売却することでルピーを支える。
これによりルピー需要が高まり、下落ペースを抑制することができる(2024年10月〜2025年1月、および2025年8月〜12月にも実施された)。
インドの外貨準備高は依然として十分な規模を維持しており、2026年3月末時点で約6,911億1,000万ドルに達していた。
これは2025年12月末基準で、約10.8か月分の輸入を賄える水準であり、投機的な資本流出からルピーを防衛するためにRBIが活用できる強力な「武器庫」である。
現在続く地政学的緊張と、原油価格上昇の脅威は、インドに深刻な課題を突き付けている。
インドは、1バレル当たりより多くのドルを支払わなければならない上、1ドル当たりより多くのルピーを必要とする状況に陥っている。
※インフラ不足や物流コストの高さ、製造設備や部品供給網の制約、熟練労働力不足、電力供給の不安定さなどに加え、海外市場での競争力や品質管理面の課題。