先週より4か月間という期間限定、しかも週1日だけ出社という条件で、プネー東部マガルパッタ(Magarpatta)地区に巨大なオフィスを構えるインド大手テクノロジー会社に通っている。
この4か月間は、きっとあっという間に過ぎ去ってしまうだろうから、日々を大切に、できるだけつぶさに記録に残しておこうと思う。
酷暑期入り口の3月31日朝、まだ少しだけ涼しい空気の中を、コーレーガーオン・パーク(Koregaon Park)はずれの交通渋滞に巻き込まれながら、オートリクシャーに揺られること約30分。
キャンパス内に扇状に並ぶ大きな建物の一番奥に向かい、4階のオフィスまで上がる。
IDカードを身に着け、インド大企業の一角で、プロジェクトの一員として席につく。
チームメンバーは活気がありつつも、おそらく全員がわたしよりも若い。
だからと言って無遠慮にこちらのプライバシーに関わる質問を投げかけてくるようなこともなく、落ち着いている。
わたしはその端っこから、インドの先端テクノロジー系職場をほんの少し覗かせてもらっている感覚がある。
プロジェクトはかなりきつめのスケジュールのようだが、午前のティータイム、昼のランチタイム、そして午後のティータイムをきちんと取るように、チームがお互いを誘い合い、一日のリズムを刻んでいる。
リーダーはグジャーラート州出身の「純ベジタリアン」。
彼女の話す実家の風景は、「ザ・ジョイントファミリー」といった感じで、親戚同士がまるでひとつの小さな村を作っているようだ。
彼女が子どものころ、集合長屋のような大きな家では、父親とその兄弟6人を中心に、それぞれの家族がひとつ屋根の下で生活していた。
総勢40名以上。
だから従兄弟たちを「cousins」と区別する概念が、そもそもなく、全員を自分の「siblings」だと思っていたそうだ。
母親はヒンドゥー教のブラーミンの中でも厳格な食のタブーがある家系で、タマネギやニンニクを一切口にしない。
彼女がそれらの食材を使った料理を食べたくなったら、外で食べるしかない。
そうして食べてくると、帰宅後、母親はしばらく彼女に近づかないのだそうだ。
その徹底ぶりは、規律というよりも、生活そのものである。
別のメンバーは、北部ヒマーチャル・プラデーシュ州出身。
空手が趣味で、沖縄の流派で長く修行し、黒帯を持っている。
彼の帰省は、ちょっとした旅だ。
プネーからは列車で数十時間、または1日1往復のチャンディーガル行きの航空機に乗り、そこからさらにバスで3時間ほど、山へ向かう。
冬になれば氷点下になることもある、寒い土地である。
父親は軍人で厳格だった。
朝6時に起きなければ、足を掴まれて、桶に張った冷たい水の中に頭から浸けられる。
そうした日々の中で育った。
今でも、アラームが鳴ると恐怖で目が覚め、二度寝は、決してできないという。
もうひとりは、わたしと同じく外部から来ているメンバーである。
プネー出身で、市内のAIスタートアップで働いている男性は、ロイヤル・エンフィールドのバイクで長距離を走るのが趣味。
週末の道路の風景、エンジンの振動、そして遠くへ駆ける時間を楽しんでいる。
インドネシアやマレーシアなど、海外にもよく出かけ、現地で借りたバイクでツーリングするという。
好奇心旺盛で、日本についても断片的ではあるが、自然に知識を持っている。
あるとき、マレーシアの空港で、日本在住歴が10年を超えるインド人と偶然出会った。
その人はこう言ったという。
日本は便利で、きれいで、確かによい国だ。
けれど外国人に対しては、とても奥手だ。
普通に話しかけようとしているだけなのに、どこか避けられているように感じる。
それが寂しく、どうしようもない孤独感に苛まれることがある。
だからその日、ロイヤル・エンフィールドくんと一緒に過ごした時間は、初対面にもかかわらず、数週間ぶりに「人とまともに話した」時間だった、と。
オフィスでは、わたしはただの平メンバーだ。
作業負荷以外の精神的プレッシャーは、ほとんどない。
新しいことを教えてもらい、知らなかったことをひとつずつ理解していく。
周りのメンバーは優しい。
顧客の日本企業を除けば、日本や日本語に親しみのある人はいない。
それが、かえってメンバーとはほどよい距離感を保つのに都合がよい。
何も期待されていない場所で、ただ存在して、働いて、会話する。
週に1日だけ開く、この小さな窓。
この時間に今、少しだけ救われている。
こうした場を与えてくれた人事部の女性たちに、時期が来たら改めて、心からのお礼を言いたいと思う。

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