時の流れとともに、ASKSiddhiの22年

 

Posted on 19 Aug 2025 21:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

輝かしい振り返りでなくて恐縮だけど、これも人生だよね。



22年前のきょう。
それは、ASKSiddhiの第一声を、インターネットに流した日である。

ニューヨーク停電:インドレストランが食事の無料提供 2003.8.19

あれからもう、22年が経った。

ことしは、この年月の重みをずっしりと感じさせる出来事があった。

あのころ小学校低学年くらいだった彼女。
インドに移住する前の自分にとっては、主に写真の印象から「不二家のペコちゃんみたいだな」とイメージしていた。

アコラ(Akola)にいた、まだ幼いその親戚を日本へ連れて行ったのは、それから十数年後、彼女が20歳になった年のことだった。
けれど感謝されるどころか、結局その人もまた、たちまちのうちに欲望に飲み込まれ、しまいにはインド人である自らのルーツをも断ち切ろうとしているかのような「別人」になってしまった。
日本人の配偶者を得ても、必死に幸せを演出しようとしていても、傍目にはただ、かつての自分が住む田舎の人間に向けてイキっているだけにしか見えない。

物欲にあふれた日本を逃れてインドに来たわたしと、正反対の道を辿り、まんまと資本主義という名のブラックマジックに取り込まれた彼女。
あの幼く素朴で、心優しかった「ペコちゃん」の面影は、もうどこにもない。
いるのは承認欲求ばかり肥大化した、教養も何もない、ただのでくの坊だ。

日本へ連れて行ったことは本当に良かったのだろうか──今でも自問してしまう。
しかし、もう十分だ。
何よりきっと彼女にとっては、こんな人生こそが望んだものだったのだろうから、結果オーライと思うことにしている。

一方で、当時はまだ赤ん坊だった親戚のひとりは、ことしタイで友人の会社に就職した。
その子の葛藤を知っていただけに、その勇気ある1歩は実に感慨深く、まだ血の通った交流が維持できているだけに、注意深く距離を置きつつ見守っている。

時の流れは、決して人に優しいばかりではない。
だからこそ、せめて自分には優しくありたい。

そして何より、ここに集う皆様と共に、この22年を歩んでこられたことに深く感謝している。

他に何もないわたしにできるのは、これからもただ、粛々と日々の記録を重ねていくこと。
その記録は、わたしひとりのものではなく、共に歩んできた証しとして刻まれていくだろう。

人生を積み重ねることは、必ずしも喜びだけを運んでくるわけではない。
けれど、喜びも悲しみも含めて、歩みを共にしてくださる皆様がいる。
その事実こそが、この22年を支えてきた最大の力である。

この22年間は、ただ必死に駆け抜けてきた日々に尽きる。
しかし近年は、インドという枠にとらわれ過ぎず、ピアノの練習やドイツ語の学習にも取り組み、できるだけ自分らしい形での異文化理解を模索している。

たとえば、自分の好きな音楽に寄せて、スペインや南米、そしてドイツをふらりと訪ね、そこで学びを深める。
その旅の記憶を音に託し、即興曲を作る。
物語として綴り、刊行という形で世に送り出す。

23年目には、心に禍根として残るトラウマのような出来事を乗り越えつつ、そうした夢をひとつずつ形にしていけたら、と願っている。

そして、これからもどうか、共に歩んでください。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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