「TCSショック」の先にある未来: インド経済を救うのは科学か

 

Posted on 17 Aug 2025 21:00 in インド科学技術 by Yoko Deshmukh

大いなる遺産になるか、否かの瀬戸際にいるインドです。



「The Hindu」に、英サセックス大学開発経済学(イノベーション、グローバルヘルス)チランタン・チャテルジー(Chirantan Chatterjee)教授の論考が掲載されていたので、抄訳している。

To survive AI and global geopolitics, India should become a hub of knowledge creation, not just knowledge processing

今月初め、インド最大のITサービス企業であるタタ・コンサルタンシー・サービシズ(Tata Consultancy Services、TCS)は、1万2,000人の従業員を解雇すると発表した。
グローバル化の波に乗った低コストで大規模なビジネスモデルが今、存亡の危機に瀕している。
労働力の裁定取引の時代は終わりに近づき、人工知能(AI)の時代が経済競争力のルールを書き換えつつある。

生成型AI、機械学習、そして自動化は、かつてインドに優位性をもたらしていたまさにその業務、すなわちコーディング、データ入力、サポートサービス、さらには分析業務の一部を急速に置き換えつつある。
従業員数の減少はもはや一時的な現象ではなく、インドの主要輸出品であったホワイトカラーのデジタル労働力が、まさに破壊的な影響を受けているのである。
毎年、大量に労働市場に参入する科学および工学分野の人材を吸収できていない。

では、今後インドが経済的重要性を維持していくためにはどういった道があるのだろうか。
その答えは、イノベーション、発見科学(Discovery Science、「知識を第一」に据えた深い好奇心駆動型の研究)、そして協調的な科学技術イノベーション(STI)政策の上流にある。
AI主導の世界経済において、インドがルールの受容者ではなくルールの創造者となるためには、知識処理だけでなく知識創造のハブとなるための投資を緊急に行わなければならない。

これは、STEMを起点とし、政策・社会と統合したSTEPS(STEM + 政策 [Policy]+社会的側面 [Social dimensions])を包含する新たな国家協定によってのみ実現可能である。
つまり、システムの構築方法に加え、そうしたシステムが起業家精神、ビジネスモデルとその拡大、倫理、ガバナンス、そしてインクルージョンにどのような影響を与えるかを理解できる技術者の世代を育成すること、そしてデータガバナンス、AI倫理、気候変動対策、イノベーション経済、知的財産政策をカリキュラムに組み込むことを意味する。

2020年の新教育政策(NEP)はある程度の基盤を提供するが、実施にはさらに深く掘り下げ、インド工科大学(IIT)から州立大学に至るまで、国内の学際的なイノベーションと博士課程レベルの研究能力への意図的な転換を必要としている。
インドのイノベーションから教育へのパイプラインは、現状では21世紀の知識経済を支えるには弱すぎる。

そして残念ながら前述のとおり、製造業はもはやインドを救うことはできないだろう。
製造業における「次の中国」になるという夢は、今やほぼ非現実的だ。
インドの製造業はGDPのわずか14~16%を占めるにすぎず、この数字は10年間ほとんど変わっていない。
さらに懸念されるのは、世界の製造業がAI主導の変革を遂げつつあることである。
スマートファクトリー、予知保全、ロボット組立ラインによって、安価な労働力の必要性が縮小している。
コスト競争はもはや勝ち目のない戦いとなっている。
さらに、世界のサプライチェーンも賃金格差だけでなく、戦略的レジリエンスとデジタル統合を中心に再編されつつある。
インドにとっての課題は、次なる世界の工場になることではなく、次世代の量子コンピューティング研究所や気候変動に強いアグリテックプラットフォームを構築することである。

「トリプルヘリックス(Triple Helix、政府・産業界・学界の三位一体によるイノベーション・エコシステム)」アプローチがどのようにしてインドの将来への備えの最善策となり得るかという疑問への答えはどうだろう。
そこに到達するには、政界、産業界、学界の緊密な協力に支えられた明確な国家科学イノベーション戦略を必要とする。
単一の主体だけでは必要な変革をもたらすことはできず、科学に基づく起業家精神と科学者による起業家精神がますます求められる。
これは、Simputerの発明者であり、Strand Genomicsの創設者でもあり、インド科学技術大学校(Indian Institute of Science)元教授でもあるVijay Chandru氏が以前にも行った。
13億人の国にはVijay Chandru氏の孤軍では到底、太刀打ちできない。

政府はまた、ブルースカイ・サイエンスに投資し、研究開発の資金調達構造を改革、フロンティア・テクノロジー(AI、バイオテクノロジー、半導体など)を可能にする規制の枠組みを設計する必要がある。
大学は単なる試験場ではなく、イノベーションハブへと進化すべきである。
そして産業界と緊密に連携し、技術移転オフィスを構築し、リスクを取ることに報奨を与えなければならない。
業界はまた、中途半端な均衡の考え方でわずかな生産性向上を受け入れ、短期的な利益を追求するのではなく、チップ設計から合成生物学に至るまでの長期的な研究に共同投資する必要がある。

戦略的な国家支援と組織的連携がいかにアイデアを世界的な優位性へと転換できるかを実証する世界的な前例としては、米国の DARPA エコシステム、ドイツのフラウンホーファー研究所、そしてイスラエルのスタートアップ・ネーション・プレイブックなどがある。
インドはこれらの教訓を活かし、現在の世界的な地政学的逆風を捉え、科学とイノベーションに関する国民意識を高めることができる。
重要なのは科学への投資だけではない。
イノベーションのための科学への投資自体が、エビデンスに基づく向上のための批判的評価の精神をもたらす。
インドには、何が効果的かを測定するための一貫した枠組みが欠如している。
どの研究開発モデルが橋渡し的な成功をもたらすのか、技術インキュベーターは時間の経過とともにどのように機能するのか、研究資金が流出または停滞しているのはどこなのか。
こうした問いを通じて、イノベーション・エコシステムを統括するための省庁横断的でデータ主導型のアプローチである国家科学イノベーション政策(NSIP)プラットフォームを、前進のための道として整備できる。
政府系シンクタンクであるNITI AayogのAI戦略と、国立研究財団(National Research Foundation)による最近の提携は正しい方向への一歩となるが、その統合と規模は依然として不十分だ。

この取り組みには、AI の安全性、公共の利益となる技術、この2つの移行政策、そして国家の計算インフラへの専用資金投入が不可欠である。
インドが独自のAIスタック、アルゴリズム、チップ、クラウド、データプロトコルを開発しなければ、技術植民地主義の虜になってしまう大きなリスクがある。

AI移行による影響は、前述の TCS の状況に見られるように、仮説的なものではない。
インドが今日、科学技術とエビデンスに基づく政策に投資しなければ、明日には経済停滞、不平等の拡大、そして地政学的な蚊帳の外に追いやられる事態に直面することになる。

世界経済はインドの追い上げを待ってはくれない。
実際、追い上げつつある経済圏は、これらの分野におけるインドのリーダーシップを求めている。
特に懸念されるのは、既に少数の国々(主に西アジアと東アジア)がAIの特許、資金、そして人材を独占している現状である。
国家による意図的な後押しがなければ、インドはいつまでも独自のAI帝国を築くことなく、他国の AI 帝国にコーダーを供給し続ける役割に留め置かれるだろう。

一方で朗報もある。
若い人口動態、強力なスタートアップ・エコシステム、そして実績ある優れた科学機関といった要素が揃っている点だ。
今必要なのは、リーダーシップ、ビジョン、そして戦略的な発想の転換である。

コスト重視から創造性へ、サービス重視から科学重視へ、政治的ポピュリズムから真の成果へ。
インドはまだ、世界のイノベーションの最前線に躍り出ることが可能である。
まずは科学技術と賢明な政策は贅沢品ではなく、AI 時代における最後の、そして最善の選択肢であることを認識する必要がある。
龍(中国)は既に火炎を噴いているが、象(インド)は目覚めるだろうか。

 






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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