分断の重みを背負って――アタリ国境に生きる人々
Posted on 02 May 2025 21:00 in インドあれこれ by Yoko Deshmukh
わたしを含む最も脆弱な市井の人々が、最も大きな犠牲を強いられるという仕組みの世の中です。
「The Hindu」の記者ヴィカス・ヴァスデーヴァ(Vikas Vasudeva)氏が、かつての姉妹都市ラホール(Lahore)からわずか50キロのパンジャーブ州アムリトサル(Amritsar)および国境の村々を取材し、リポートしていた。
その内容を抄訳したい。
Indians and Pakistanis at Attari border: The people who bear the weight of a divided history
インドとパキスタンを隔てるアタリ・ワガ(Attari - Wagah)国境では、毎日、日没時に「Beating Retreat」と呼ばれる、国境ゲートを閉鎖し国旗を降納する式典が開催される。
そこは、インド人とパキスタン人が、ともに同じ感情を抱く場所だ。両国の国民が国境を挟み、悲しみと不安に苛まれながら、家族と引き離される場所である。
ジャンムー・カシミール地方パハルガム(Pahalgam)で先月22日に発生したテロ攻撃では、25名の観光客と1名の現地旅行ガイドが犠牲となった。この事件を受け、インドとパキスタン間の緊張関係は、特にアタリ・ワガ国境で顕著になった。
核保有国同士の緊張が酷暑期の気温とともに高まる中、アムリトサルおよびその周辺の国境沿いの村々では、苦悩、落胆、不安、そして立ち直る力が、さまざまな形で肌で感じられる。
テロ事件の翌日、インド政府はこの行為をパキスタンによるものとみなして抗議し、アタリ国境の閉鎖を含む一連の外交措置を発表した。
インドは、ほぼすべてのパキスタン国民に対して出国を要請し、パキスタンはこれに対抗してインドとの貿易停止とインド国民へのビザ発給停止を発表した。
インド政府は、医療ビザ、外交ビザ、長期ビザを除くパキスタン国籍ビザ保有者に対して、出国期限を4月27日と通告した。
女性や子供を含む多くの人々がアタリ国境に列をなし、パキスタンへと出国していった。中には、親戚や友人との予期せぬ別れに涙を流す人も多くいた。
一方、パキスタン側からも同様の事情を抱えるインド国籍保有者が出国し、国籍が異なるだけの家族、親族、肉親同士が、終わりの見えない別れに胸を痛めていた。
「妻のサビタはパキスタンのパスポートを持っていますが、数日前、インド国籍の子供2人を連れて実家に帰りました。結婚して13年になりますが、サビタはこれまで何度もパキスタンに一時帰国してきました。しかし今回は、インドに戻って来られなくなっています。パキスタン当局は子供たちだけに帰国を許可しているのです」と語るのは、マハーラーシュトラ州コーラプール(Kolhapur)在住のリシ・クマール(Rishi Kumar)さん。
彼は4月24日にアタリ国境に到着し、それ以来、検問所(ICP)の外で待機している。
「なぜ私たちは引き離されなければならないのか。これからどうすればいいのか。パハルガムで起こったことは言葉にできないほど非難されるべきことですが、両国の状況がこれ以上悪化しないことを心から願っています。平和が戻ってほしい」とクマールさんは語る。
そして国境で5日間待機した後、パキスタン当局から妻と子供たちのインドへの渡航許可が下りたという知らせを受け、ひとまず安堵した。
出入国期限となった4月24日から27日の間に、537人のパキスタン人がインドを出国、850人のインド人がパキスタンから入国した。
1947年の分離独立で分断された家族やコミュニティは、国境を越えて連絡を取り続けようと長年努めてきた。
しかし、二国間関係が緊張するたびに、こうした人々は苦しみを味わってきた。
1947年以降の両国関係は暴力と流血にまみれてきたが、一方で国境を越える共通の文化的アイデンティティは維持され続けている。
アタリ・ワガは、そんな激動の時代を静かに見守ってきた。
インド、パキスタン、アフガニスタンを結ぶ唯一の陸路であるこの地は、長年にわたり、特に地元住民にとって経済的に極めて重要な場所であった。
1959年から毎晩ICPで行われる「Beating Retreat」式典は、インド全土から観光客を引き寄せている。
両国は国旗を降ろし、インド国境警備隊(BSF)とパキスタン・レンジャーズ(Pakistan Rangers)がともに儀礼を交わす。
式典の雰囲気は、その誇張や控えめさにかかわらず、両国間の緊張と敵意の深さを映し出している。
BSF職員によれば、近年ではインド側だけで週末に2万5000人、平日にも1万8000人から2万人の観光客が訪れている。
先月の事件以降、インド政府が出国期限を設定すると、人々はICPに押し寄せ、パキスタンに渡ろうとした。
荷物を満載した車やオートリクシャーが、BSFが警備する旅客ターミナルへと向かった。
パキスタンのパスポートを持つ者は出国を許可されたが、それ以外の人々は、たとえ家族であっても出国を阻止された。
パキスタン人と結婚し、2月から両親に会うためインドに一時帰国していた24歳の女性は、国境の向こう側で待つ夫と再会できるか不安に揺れている。
「私はインド人で、10年前にカラチで結婚しました。2人の子供はパキスタンで生まれ、パキスタン国籍です。私だけがここに残り、子供たちだけを国境の向こうへ送り出すことなどできません」と、涙ながらに語った。
イラン国籍の女性もまた、母国に帰れるか不安を募らせている。
「平和のメッセージを広めるため、キャンピングカーで世界を旅しています。アタリ・ワガ間は、イランにある私の故郷へ戻る唯一の陸路です。インドにはこれまで75日間滞在しました。今はただ、家に帰りたいだけです」と、ICP近くの路肩に車を停めたまま、落胆した様子で語った。
アタリ・ワガ間の国境は、物理的にも象徴的にも、重要な玄関口だ。
1999年、当時のインド首相アタル・ビハリ・ヴァジパイ(Atal Bihari Vajpayee)は、デリー・ラホール間のバス路線を開設し、その初便に乗って当時のパキスタン首相ナワズ・シャリフ(Nawaz Sharif)と会談した。
しかし、パキスタンから帰国した多くのインド国民は、パハルガムでのテロ攻撃に悲しみを表明し、インドの強硬姿勢を支持している。
その一人、パンジャーブ州ソニパトで農業労働者として働く58歳の男性はこう語る。
「国境を越えた血縁関係はありますが、私はインド人です。パハルガムで起きたことは非人道的であり、私は祖国とともにあります」。
この男性の叔父一家は、分離独立時にパキスタンへ移住し、かつて姉妹都市だったアムリトサルから約50キロ離れたラホールに定住したという。
「いとこが体調を崩したので、妻と私は4月8日から1か月のビザで会いに行っていたのです」と彼は語った。
テロ攻撃後、BSFはパンジャーブ州内パキスタン国境沿いに位置するアタリ、フサイニワラ、サドキの3か所で行われていた「Beating Retreat」式典の規模を縮小した。
4月26日、夕暮れ時に実施されたアタリでの式典では、国境ゲートは閉じたままで、インド軍司令官とパキスタン軍司令官による象徴的な握手は行われなかった。
これについてBSFは、「国境を越えた敵対行為に対するインドの深刻な懸念を反映しており、平和と挑発は共存できないことを再確認するものです」と説明している。
ICPの向かいで食堂(Dhaba)を営む男性は、国境を越えた貿易停止により生活が危機に瀕していると語る。
2019年のプルワマ(Pulwama)で発生したテロ事件を機に二国間貿易は停止しており、それ以来、アフガニスタンからの貨物を含む物流も途絶えたままだ。
貿易業者、通関業者、トラック運転手、ポーターなど、地元の事業者たちは大きな打撃を受けている。
一方、パキスタンのカルタルプール・サーヒブ(Kartarpur Sahib)寺院とインドのデラ・ババ・ナーナク(Dera Baba Nanak)寺院を結ぶカルタルプル回廊(Kartarpur Corridor)は、今も開通している。
巡礼者たちはビザなしでパキスタン側にある歴史的寺院へ通行できるが、一般のインド国民に対するビザ発給は、スィーク教徒巡礼者を除き停止されている。
国境に隣接するパンジャーブ州の村々は、外交上の衝突や経済混乱のたびに影響を受けてきた。
アタリから約80キロ離れたグルダスプール県の国境沿いに位置するローズ(Rose)村では、人々の反応はやや異なる。
「ここに住む人たちは恐怖心を抱いていません。パキスタンとの緊張は今回が初めてではないからです。みな慣れきっていて、恐れていません。2016年にインドが越境攻撃を行った際、村人たちは避難を求められましたが、実際に村を離れた人はほとんどいませんでした。私たちは逃げません。むしろ、状況が許せば、できる限り軍を支援します」と語るのは、インドが「ゼロライン」と呼ぶ同村国境線近くにある100エーカーの農場で小麦を収穫する58歳の男性だ。
農作業には時間制限があり、ここでの耕作は困難を極める。
「農場に行くたびに許可を取り、煩雑な書類手続きをしなければなりません。パキスタン側には柵がないため、迷い込んだ牛が作物を荒らすこともあります。こうした問題を政府には是非解決してほしい。しかし今は、国の最優先事項が私たちの最優先事項です」と語る。
隣国同士の緊張が高まるなか、暴力的な過去の傷跡と、引き裂かれた家族の苦しみが再び表面化している。
「一日も早く状況が正常化することを願っています。インドとパキスタン間で緊張が高まるたび、国境沿いの村々の住民が矢面に立たされるのです」と、国境近くの農地で小麦の収穫に追われる男性は嘆いた。
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Yoko Deshmukh
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インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.
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