インド学者の嘆願から見える世界の連帯と分断
Posted on 10 Sep 2025 21:00 in インド科学技術 by Yoko Deshmukh
案の定ネトウヨみたいなコメントも散見されるけれど、未来の科学者のためのオリンピックだからこそ、きちんと代替策も用意しているところにも注目です。
バンガロールの国際理論科学センター(International Centre for Theoretical Sciences)所属の理論物理学者スヴラット・ラージュ(Suvrat Raju)氏と、チェンナイの数学研究所(Chennai Mathematical Institute)所属の理論物理学者アローク・ラッダ(Alok Laddha)氏による共同寄稿が「The Hindu」に掲載されていたので、その内容を抄訳したい。
Indian academia in times of genocide
8月、500人の科学者および学者のグループの一員として、国際天文・天体物理学オリンピック(International Olympiad on Astronomy and Astrophysics、IOAA)へのイスラエルの参加に反対する嘆願書を提出した。
Israel’s ouster at Mumbai science Olympiad: 300 scientists protest; accuse TIFR of activism _ Mumbai News - The Times of India
8月11日から21日までムンバイーで開催され、63か国が参加したIOAAは、才能ある高校生を発掘することを目的とした科学オリンピックのひとつとして知られている。
この科学オリンピックはイスラエルにとって国の威信に関わる重要な行事であり、政府は科学の進歩の証として自国チームの成績を誇示している。
我々の嘆願書は、イスラエルが国の代表として出場することに反対し、学生とチームリーダーが個人として公式のイスラエル国旗を持たずに出場することを求めるものだった。
我々の目的は、イスラエルの政策への反対を表明し、オリンピックがイスラエル政府にとってプロパガンダとして持つ価値を低下させつつ、学生自身への影響をできるだけ少なくすることにあった。
イスラエルに対する同様の制裁は情報オリンピック(Informatics Olympiad)でも課せられており、ロシアとベラルーシに対してもオリンピックを含む複数の国際競技大会で適用されている。
IOAAは、120名の会員と参加各国の代表者からなる独立した国際理事会によって運営されている。
昨年もこの問題について議論していた理事会は、我々の請願書に加え、パレスチナ代表団によるイスラエルの政策がパレスチナ人学生に及ぼす有害な影響に関する証言などを含む証拠を検討した。
徹底的な議論の末、理事会は圧倒的多数で提案を承認した。イスラエルは今年代表チームを派遣しなかったため、理事会の決定は来年イスラエルが参加を表明した場合に有効となる。
当然、イスラエル大使館は猛抗議した。
コビ・ショシャニ(Kobbi Shoshani)在ムンバイー総領事は、同オリンピックにおいて「(ユダヤ人物理学者の)アルバート・アインシュタインの相対性理論」という記述を「ハマスの政治理論」に変更するよう、皮肉を込めた提案をした。
さらに、インド工科大学(IIT)2校の理事長や複数の大学の副総長、そして我々を含む300名のインド人学者が首相官邸に(イスラエルによるオリンピック参加に反対する)請願書を提出したことに対し、署名者7名とIOAA会長に対して「厳格かつ適切な措置」を取るよう求めた。
同国の訴えによれば、科学者らの請願が「Vishwaguruになるために努力する若者に等しく与えられるべき機会を奪う行為だ(completely overshadowed and sidetracked our efforts at becoming Vishwaguru)」という。
この訴えは不可解である。
なぜなら、この決定はIOAA理事会によってなされたものであり、署名者(理事会のメンバーは1人もいない)によってなされたものではないからだ。
IOAA会長は、義務として理事会に請願書を中継した以外、請願には一切関与していなかった。
さらに、首相官邸には役割がなく、IOAAは「理事会は民主主義の原則に基づき設立された国際機関であり、会議における審議はホスト国から独立している」と明言している。
それでも今回の論争は、ガザでこの瞬間も続く大量虐殺に直面したインドの学者たちの責任について考えさせるはずだ。
イスラエルは2023年以降、ガザ自治区で6万3,000人以上を殺害した。あるデータによると、イスラエル軍自身も犠牲者の83%が民間人であると推定している。
同国はガザの学校の90%以上を破壊しており、世界保健機関(WHO)はガザの病院の94%に損害を与えたと推定している。
2024年7月、医学誌ランセット(Lancet)に寄稿した医学専門家らは、社会システムの崩壊と食糧不足により、(イスラエル軍の攻撃による)直接の犠牲者1名の背後に餓死者が3名を超える可能性があると推定した。
これはイスラエルの軍事行動によって、ガザの住民200万人のうち10%以上が殺害された可能性があることを示唆している。
国連はガザで正式に「飢饉」を宣言し、国連事務総長はこれを「人災」と呼んでいる。
さらにトム・フレッチャー(Tom Fletcher)国連事務次長(Under-Secretary General)は、これは「食料から数百メートル以内の飢饉」であり、「イスラエルによる組織的な故意の妨害によって国境に食料が山積みになっている」と指摘した。
一方イスラエル支持派は、2023年10月7日のハマスによるテロ攻撃後の安全保障を確保するためにはイスラエルによる継続的な軍事行動が必要だと主張する。
しかし、イスラエルの元治安当局幹部は8月、この主張を覆し、ガザに残る自国民の人質の家族の訴えを受けて政府に対し戦争終結を要求した。
イスラエル政府が人質解放のための合意交渉をも拒否しているためだ。
イスラエルのアミチャイ・エリヤフ(Amichay Eliyahu)文化遺産大臣は7月、同国の政策は「ガザの壊滅に突き進んでいる」と宣言した。
そしてパレスチナ人の市民権と土地に対する権利を認めない現状は、1948年のイスラエル建国を機に75万人のパレスチナ人が強制移住させられた「ナクバ(Nakba)」の継続であると指摘した。
アインシュタインをはじめとするユダヤ人指導者たちは1948年当時、ニューヨーク・タイムズ(New York Times)に宛てた手紙の中で、ナクバの特に陰惨な出来事について次のように描写している。
「テロリスト集団がデイル・ヤシーン(Deir Yassin)の平和な村を襲撃し、住民のほとんどを殺害し、また生かしておいた少数を捕虜として見せしめにした。」
この手紙は、当時この暴力を指導したひとりとされ、1977年にイスラエルの首相となったメナヘム・ベギン(Menachem Begin)を非難するために書かれたものである。
ベギンは、現在もイスラエル与党であるリクード(Likud)党を設立した。
ガザで繰り広げられている歴史的な犯罪を前に、科学・文化イベントが通常どおり開催できるわけがない。
学者・科学者として、イスラエル政府に政策変更を迫るために全力を尽くすことは我々の義務である。
そして一部の同僚がイスラエルの行動を無視したり擁護したりすることを選んだことは非常に残念なことだ。
ソーシャルメディア上で見られる反応を見ても、パレスチナ人が尊厳と自由を持って生きる権利について、一部のインド人の中に単に宗教を理由に認めようとしない者がおり、これはさらに憂慮すべきことだ。
したがって、IOAAへの科学者による請願をめぐる議論は、インドにおける共同体の調和と学問の自由を求める、より広範な闘争の一部として捉えるべきである。
そして、これほど多くのインドの学者がこの請願に署名したことを、我々は誇りに思うと同時に、これは依然として民主的権利とインドの反植民地主義の伝統が生きていることを示すものである。
訳注:
Vishwaguru: 世界に知識・文化を広める「世界の師」としてのインドという理想・願望。モーディー政権における政治的スローガンにもなった。
ナクバ: 1947~49年にパレスチナ人多数が故郷を追われた「大災厄」。人道・歴史的視点で重大な事件。
デイル・ヤシーン: 1948年の虐殺事件。100人以上の民間人が死亡し、ナクバの進行を加速させた。
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Yoko Deshmukh
(日本語 | English)
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.
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