インド系女性指導者が率いる国トリニダード・トバゴ

 

Posted on 09 Jul 2025 21:00 in 海外のインド人 by Yoko Deshmukh

知らないことばかりだな。画像はWikipediaより、Pratibha Patil元大統領よりPravasi Bharatiya Sammanを受け取るペルサド=ビセサール首相(2012年)です。



今月4日、ナレンドラ・モーディー(Narendra Modi)首相がトリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペインを訪問したことを機に、同国へのインド移民の歴史をまとめた記事を「The Hindu」に見つけた。

How Bhojpuri people migrated to Trinidad in the 1800s

そのルーツをビハール州ボージュプリー(Bhojpuri)族にたどる、トリニダード・トバゴのカムラ・ペルサド=ビセサール(Kamla Persad-Bissessar)首相は、ボージュプリー民族音楽「チャウタール(Chautaal)」の演奏でモーディー首相を歓迎した。

また同首相が主催した晩餐会では、ビハール州の家庭でよく食べられているソハリ(Sohari)の葉に料理が盛られた。
同国のクリスティン・カーラ・カンガルー(Christine Carla Kangaloo)大統領も、インド系トリニダード人として知られる。

インド外務省ランディール・ジャイスワル(Randhir Jaiswal)報道官によれば、人口約130万人の同国では、うち45%をインド系が占める。
大部分がウッタル・プラデーシュ州とビハール州(Chhapra、Ara、Ballia、Siwan、Gopalganj、Banaras、Azamgarhなどの地域)にルーツを持つ。

インドとトリニダード・トバゴとのつながりは1845年にさかのぼる。
英植民地だったインドから225人の労働者を乗せた船「Fath Al Razack」号がパリア湾に上陸したことを起源とする。
その後、14万人以上のインド人労働者が、主に現在のウッタル・プラデーシュ州とビハール州から砂糖農園で働くためにトリニダードに送られた。

奴隷制度が正式に廃止されて以降、イギリスはインド人の年季奉公制度(Indian Indentured Labourers System)を考案した。
これは、人々が「自発的に」農園労働者として働くことを申し出る制度で、植民地支配下で「飢餓」と「経済不況」に苦しんでいたインド人たちの多くが、植民地へと移住した。
こうしたインド人たちは、英語の「agreement(合意)」に由来する口語で「ギルミティヤ(Girmitiyas)」と呼ばれ、イギリスはうち数千人の労働者をモーリシャス、フィジー、トリニダード、ガイアナなどの別の植民地に移送した。

ユネスコ(UNESCO)によると、イギリスはこれを「壮大な実験(Great Experiment)」と呼んだ。
1834年から1920年の間に、120万人ものインド人が複数の植民地に移住した。
「ギルミティヤ」らは「一定期間」働くことになっていたが、大半は新たな契約を締結して現地に留まることを選び、家族を呼び寄せる者もいた。

イギリスは「壮大な実験」を成功と称し、オランダもそれに倣ったことで、スリナムにも多くの「ギルミティヤ」たちが移住した。
しかし書類上は契約のように見えたが、奴隷制に他ならず、「平等や自然正義の原則に基づいていなかった」と、同国バスワティ・ムケルジー(Bhaswati Mukherjee)元大使が2014年に外務省ウェブサイトに寄稿している。

こうした労働者たちはカリブ海諸国のプランテーションや農園に監禁され、奴隷制下のアフリカ人と同等の環境で生活・労働させられた。
雇用主を選ぶことはできず、雇用主を変えることも、契約を買い戻すことも、交渉することもできず、雇用主の同意なしに自由に移動することもできなかった
(Kamala Kempadoo著『“Bound Coolies” and Other Indentured Workers in the Caribbean: Implications for debates about human trafficking and modern slavery』、
2017年版『Anti-Trafficking Review』、Pramod Kumar著『A New System of Slavery』ほか)。

なお、今こそ同国は指導者の地位にインド系女性2名が就いているものの、当時の「年季奉公労働者」のうち女性たちの運命は過酷を極めた。

まず、インド人女性は労働のためではなく、結婚、介護、男性労働力の安定、そして再移住コストと労働者流出の削減のために雇用されていた。
「賃金労働者として、女性は男性より劣っているとみなされ、畑で同じ仕事をしていても賃金は低かった。一方、その性的利用は、21世紀に『性的人身売買』と呼ばれるものに近く、これは今もなお続く悪しき傾向であり続けている」
(Kamala Kempadoo著『Anti-Trafficking Review』)。

マハートマー・ガーンディー(Mahatma Gandhi)は、この「年季奉公制度」を声高に批判した。
自伝『My Experiments with Truth』の中で、ガーンディーは1917年2月に、マダン・モハン・マラヴィヤ(Pandit Madan Mohan Malaviya)が帝国立法評議会に年季奉公制度の即時廃止を求める法案を提出する許可を求めたが、却下されたことを回想している。
その後、ガーンディーは全インドで年季奉公制度に反対する運動を組織し、当時の植民地インド総督チェルムズフォード(Chelmsford)卿と会見した。
しかし、同制度が正式に廃止されるまでには、1971年7月31日まで待たねばならなかった。

かつての「年季奉公人」とその子孫は、今もなお「ギルミティヤ」と呼ばれている。
ビセサール首相自身も、2012年にインドを公式訪問した際、ビハール州ブクサール(Buxar)県ベルプール(Bhelpur)村でギルミティヤの子孫に会っている。
同国政府は、ギルミティヤたちの名前、働いていた農園名、到着した際に乗っていた船などの詳細を含む一般登録簿を保管している。
また、出国証明書、不動産登記簿、インドへの送金記録簿、結婚記録など、ルーツ調査に役立つ記録も保管している。
インド外務省は、インド系住民によるインドでの血統調査を支援する「Tracing the Roots(ルーツ追跡)」プログラムを実施している。
 






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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