「PPAP」反応はイマイチ、でも楽しかったアコラの実家滞在記

 

Posted on 01 Nov 2016 23:30 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

「ラクシュミーにお祈りしているところをセルフィーして」というアイー(姑)の要望でパチリ。



本日ディワリ滞在を終えて、またアコラから10時間をかけて夕方、プネに戻ってきた。
4日早朝にはポルトガルのリスボンに向けて旅立つため、本来であれば今日がその日だったバウビージ(Bhaubeej)を1日早めて昨日家族で行い、ババ(舅)、ラームさん(夫の妹の夫)、シッダールタ(夫)からもらったお金を、毎年そうしているように、恵まれない人たちに寄付してもらうよう、アイー(姑)に託してきた。

10月初めに、お祖母さんが亡くなったばかりで気落ちしている家族を少しでも元気付けようと、あの「PPAP」ビデオ3点を観てもらって爆笑の渦を巻き起こすつもりだったが、反応は極めて薄~いものだったのが痛い誤算だった。
 


PPAPビデオ1
オリジナル「PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)ペンパイナッポーアッポーペン/PIKOTARO(ピコ太郎)」
 


PPAPビデオ2「PPAP Carnatic Version!」
 


PPAPビデオ3「PPAP India VERSION - PPAP Indian Style」


しかしもうひとつの誤算は、今年6月に日本へ呼んだラーダちゃんが、福岡や東京での滞在や体験したことについて、かなり事細かに話していたようで、家族全員の日本に対する関心がかつてないほど高まり、なんとなく「一目置かれている」ような感じになったことだ。
ババですら「日本に行ってみたい」と言い出しており、初めて「外国人の嫁」でなく「日本人」としての自分を受け入れられたような気がしてうれしかった。

日本を離れて暮らすこと早13年、近年は頻繁にプネと福岡とを往復し、まとまった期間、福岡に滞在することも多くなっていたことに、家族はおおむね理解してくれているが、そこに加えて特にラーダちゃんの両親であるラームさんやスプリヤさん(シッダールタ妹)が、日本への憧れのような気持ちを隠さなくなった。

たまたまアコラでラームさんに連れられて皮膚科に行く機会があった時、外国人自体が珍しい街のこと、日本に関する質問をいろいろ投げかけてくるドクターに、わたしではなくラームさんが「街はとても清潔で、道路に食事を落としても食べて差し支えないぐらいさ。人々は礼儀正しく、信じられないぐらい勤勉な国なんだよ。うちの嫁(わたしのこと)もよく、徹夜で仕事してる」とか熱心に答えていた。
「それに引き換え、この診療所の前の溝、ひどくゴミが散らかっていて汚いよね」とまで言うと、ドクターは非常に残念そうな顔をして、「わがインド国民は、日本人に大いに学ばなければならない」と応じ、帰り際には「あなたとお話できて光栄だった。何か問題があれば、いつでも電話してきてください」と、処方箋に個人番号を書いてくれた。

日本にも悪いところはたくさんあるし、もちろんインドにもいいところがいっぱいある。
だから、どちらの国からも最上級のものを取り入れ、それらをうまく還元できるような、充実した人生を送っていきたい。

わたしにとって、たまに訪れるアコラという街の存在が、自分にとってのインド人生の軸になっている。
もしもプネとか、他の大都市とか、観光地として開発されているような街しか知らなければ、わがままなわたしのこと、インド生活に対してもっと大きな不満を抱えていたかもしれない。

アコラという街は、昨日も書いた通り、娯楽らしきものは何もなく、分かっている限りではディスコも、クラブも、バーやパブも、ファイブスターホテルも、ショッピングモールも、スタバも、マクドナルドすらない。
空港もないし、観光地としての見所もまったくないので、列車か、穴だらけの悪路をひたすら耐えてバスや車で来るしか手段がなく、したがって用のない人はまず訪れない。
日本人で来たことがあると言った人は、在ムンバイ日本総領事館で働く、在住歴20年を超えるIさんぐらい、それもどこか他の街への途上に、アコラ駅前のホテルで1泊立ち寄っただけだということだ。

街の至るところが埃っぽく、得体のしれないゴミや廃棄物が至るところにポイ捨てされ野ブタたちがそれを漁り、独特の臭気が漂い、ちょっと歩けば無遠慮にガン見される。
こういう街を定期的に訪れることは、正直に言って最初のころは、けっこう苦痛だった。

しかし出会ったころには幼児と赤ん坊だった姪たちが、少女から、若い女性へと成長していくにつれて、いつの間にか英語で何不自由なくおしゃべりができるようになっていた。
そんな彼女たちは、奔放な夢を自由に描き、会うたびに将来について熱く語ってくれる。
下の姪シッディちゃんは、まだ17歳のこまっしゃくれた女の子なのに、ことあるごとに「こうしなきゃダメよ」とインドの儀式いろいろについて、わたしを叱ってくれたりする。
若さではち切れそうなエネルギーに引っ張られるように、わたしまでも、どんなことも自分の意思さえあれば、必ず達成できるはずだという強い自信が湧いてくる。
アコラに行くことが、いつの間にか楽しみになっていた。
彼女たちの存在が、わたしにとってのアコラを大きく変えた。

これから彼女たちが自立して、アコラを離れてしまったら、これまで以上にこの街を訪れることが苦痛になるかも。
いや、それまでに、少しは変化が訪れているかな。





  



About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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