ルールなき時代へ、揺らぐ戦後国際秩序: シャーシー・タルール氏
Posted on 18 Feb 2026 21:00 in インドの政治 by Yoko Deshmukh
感情を抑えた論調で、警鐘を鳴らしています。
本日は、「The Hindu」紙に掲載されていた、下院議員で、読書家として知られ多数の著作のあるシャーシー・タルール(Shashi Taroor)氏による寄稿を抄訳したい。
The new world disorder, from rules to might
1930年代の悪魔を葬り去ったものと信じて疑わなかった世界が、今、再びその悪魔の徘徊を目撃している。
劇的な変化は少なくなったかもしれないが、その腐敗の激しさは変わらない。
1945年6月26日にサンフランシスコで誕生した戦後秩序は、法は権力を抑制し、制度は国家を規律し、主権は強者によって与えられる特権ではなく、すべての国家に固有の権利であるという確信に基づいて築かれた。
ハリー・トルーマン(Harry S. Truman)米大統領が国連創設時に行った演説は、この信念を如実に物語っていた。
深淵を目にした同大統領は、人類が再びそこに戻ることはないとの決意の上で語った。
国連は、諸国家が「平和的に意見の相違を解決する」ための手段であり、勢力圏と略奪的な力に支配された旧世界に対する防壁となる、と大統領は主張した。
大統領の力強い宣言は、その後継者たちにとって衝撃的なものに聞こえるかもしれない。
「我々は、どれほど強大な力を持っていても、常に自分の思い通りに行動できるという特権を自らに与えてはならないことを肝に銘ずるべきだ。いかなる国家も(中略)他の国家を侵害するような特権を持てるはずはなく、それを期待すべきでもない(中略)その代償を払う覚悟がない限り、何人もまた世界平和のためのいかなる組織も、その目的を達成できない。これほど妥当な代償があるだろうか」
しかし現代の空気は、この国際法の文言をかつてないほど薄っぺらく感じさせている。
アナリストたちはドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領の外交政策姿勢は、国際ルールを拘束力のある約束事としてではなく、比喩としてしばしば引用される「イタリアのドライバーにとっての赤信号」のように、むしろ任意の道具として扱っていると捉えている。
つまり、自国の利益にかなう場合には有用だが、そうでない場合には不要であるということだ。
米国が単独行動主義を生み出したわけではない。
大国は常に例外主義、二重基準、そしてルールを破る寸前で曲げる傾向があった。
しかし、「力こそ正義」という感覚を公然と受け入れる同大統領の行動は、偽善(規範を少なくとも尊重しながらもそれを裏切る)から無関心(規範など全く気にしない)への転換を示すものである。
大国が主権は交渉可能であるというシグナルを送れば、他国はそれにならうだろう。
米国がベネズエラの主権を無視しても影響が最小限で済むのであれば、中国が台湾の地位を同様に軽くあしらったとして、阻むものがあるだろうか。
ロシアがウクライナを主権国家としてではなく歴史的訂正として扱うことを阻むものがあるだろうか。
あるいはインドが、規模の小さな隣国の異議を制約ではなく不都合と判断することを、阻むものがあるだろうか。
問題は、国際法が侵略を禁じているかどうかではなく、侵略の標的がそうするだけのコストをかけるだけの価値があるかどうかである。
長きにわたり第三次世界大戦への恐怖が安定装置として機能し、全面戦争への恐れが小規模な紛争を抑制してきた。
しかし、抑止力が弱まれば、ひとつの大火事こそ起きずとも、世界は小規模で過酷な戦争の蔓延を被る危険にさらされる。
それぞれの戦争は世界的な警戒を引き起こさなくとも、全体としては平和の基盤を蝕む。
この浸食は、多国間主義からの後退によってさらに深刻化している。
トランプ政権は、ユネスコ(UNESCO)からWHO、環境問題や軍備管理の枠組みに至るまで、数十もの国際機関や協定からの脱退を宣言した。
これは、共同統治という概念そのものに対する懐疑心を深めていることを示すものだ。
一方、21世紀における喫緊の課題は、まさにどの国も単独では解決できないものである。
パンデミック、気候変動、サイバー脅威、金融危機の伝染――これらは「パスポートのない問題」(Kofi Annan氏*の言葉)であり、国境を問わず、一方的な解決策も通用しない。
世界最強の国家が共同行動から手を引いたとしても、その空白は消え去ることはありえない。
他の国々、特に中国が介入し、自国の好みを反映した形で制度、規範、基準を形成するかもしれない。
その結果、影響力の移行だけでなく、グローバル・ガバナンスそのものの分断がもたらされる。
私たちは、極めて流動的な世界に生きている。
インドに限らず、どの国にとっても、変容する地政学的秩序の中で自らがどこに立っているのかを確信を持って述べることは困難になるばかりだ。
かつての確信は崩れ、同盟関係は曖昧になり、その曖昧さこそが現代を特徴づけるものとなっている。
善意への執拗な妨害は過去のものではなく、現在もなお遍在する。
知恵よりも恨みの方が確実に受け継がれている。
過去の戦争は長い影を落とし、未解決の不正は国家間の関係を悪化させ続けている。
指導者たちは、過去の傷を決して忘れず、平和交渉に臨むことを求められている。
そして最も深刻な障害とされるものは、おそらく権力のパラドックスそのものにある。
世界秩序の維持を託された者たちは、同時に、それを混乱させる最大の力も有している。
世界秩序は、そうした者たちが秩序を乱さないという意志にかかっていた。
しかし、この意志は薄れてしまった。 第二次世界大戦後に設立された制度は、構想は崇高なものの、設計は不平等だった。
それらは創設当時支配的だった権力階層を反映していた。
権力は少数の者に集中し、責任は全員で分担されていた。
つまり、強大な国家がルールの守護者と例外の両方の役割を果たす時、システムの正当性は損なわれる。
今の時代を特に困難なものにしているのは、ルールに基づく自由主義的な国際秩序が決して一枚岩ではなかったということだ。
つまり、規範、制度、そして協力の習慣の寄せ集めだった。
その構成要素には、主権平等、不可侵、集団安全保障、自由貿易、人権、そして多国間問題解決などが含まれていたが、いずれも、大国によっても小国によっても、繰り返し侵害されてきた。
それでも相当な数の国々が、他の選択肢よりもマシだと信じていたため、この秩序は存続してきたのだ。
今日、その信念は揺らぎつつある。
主権はますます露骨に侵害され、その侵害の中でなお侵略しない行動が尊重されている。
集団安全保障は拒否権によって麻痺し、貿易は武器化され、人権はイデオロギー的なものとして無視され、多国間機関は正当性と資源を欠いている。
機関は法令や権限を有していても、政治的意思がなければ、その権威の大部分が願望的なものにとどまる。
強大な国家が国際法を無視したり、恣意的に適用したりすると、機関の信頼性は失われる。
平和はルールだけで実現できるものではない。
不可欠なはずの誠実さは、衰えるばかりである。
しかし、秩序は死んではいない。 よろめき、苦しみ、失望をもたらしながらも、確かに存続している。
国際裁判所は依然として紛争を裁定し、平和維持軍は依然として派遣されている。
貿易の流れは依然として予測可能なルールに依存している。
ヨーロッパからインド、南アフリカ、カナダ、ブラジルに至るまで、中堅国は依然として多国間主義に投資を続けている。
なぜなら、多国間主義がなければ、冷酷で利己的な覇権国のなすがままになってしまうことを知っているからである。
ダグ・ハマーショルド(Dag Hammarskjöld)*の有名な格言「国連は人類を天国へ導くために創設されたのではなく、人類を地獄から救うために創設された」を受け入れている。
時として、世界秩序ができる最善のことは、ただ事態の悪化を防ぐことなのだ。
しかし、問題は旧秩序が無傷で生き残るかどうかではない。
それは既に空洞化し、規範や制度は覆されている。
問題は、何がそれに取って代わるのか、中国中心主義的な構造か、競合するブロックの世界か、問題ごとに寄せ集めた連合か、それとも無政府状態への回帰か、ということだ。
私たちは空白期に生きている。
旧世界は衰退し、新世界は未だ形成されていない。
危険なのは、システムが一夜にして崩壊することではなく、ゆっくりと衰退し、日和見主義と強制によってその空白を満たすことだ。
1945年の約束は、法が権力を制御できることだった。
今日の危機は、権力が再び法を制御できるかもしれないということだ。
現代の私たちに課せられた課題は、復古主義に陥ることではなく、「ルールが存在しないことが唯一のルール」となる未来を実現しないことだ。
注記:
Shashi Tharoor(シャーシー・タルール): インドの政治家・作家。元国連事務次長。インド国民会議所属の下院議員で、外交・国際問題に関する著作多数。
Kofi Annan(コフィ・アナン): ガーナ出身の外交官。1997年から2006年まで第7代国連事務総長を務めた。多国間主義と国際協調を重視したことで知られる。
Dag Hammarskjöld(ダグ・ハマーショルド): スウェーデン出身の外交官。1953年から1961年まで第2代国連事務総長を務めた。国連の独立性と道義的役割を強調した人物。

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Yoko Deshmukh
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インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
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