かつてベンガルールとチェンナイを結ぶ旧ルート沿いにあったインド陸軍基地内に位置していた、英国時代の前哨基地(military outpost)が、数十年にわたる放置の後に修復され、一般公開されているという話題を、「The Hindu」に見つけた。
Hidden for decades, a British-era outpost returns to life in Bengaluru
ドムルール(Domlur)にあるこの建造物は要塞を思わせる造りで、150年以上前に建てられたものと推定されている。
修復には陸軍の有志に加え、環境NGO「HandsOn Foundation」のメンバー、150人以上のボランティアが関わった。
現在、この場所は陸軍女性協会(Army Women’s Association)をはじめとする慈善団体の会議や活動に利用されているが、それ以前の25年以上もの間、生い茂ったつる植物や雑草に完全に覆われていた。
「HandsOn Foundation」の創設者兼会長であるグルナンダン・ラオ(Gurunandan Rao M)氏は同紙の取材に対し、この場所は2024年、近隣の湖(Eagle’s Nest Lake)を再生するプロジェクトの最中に発見されたと語った。
調査の結果、古いリベット留めの技術で固定され、閉じたまま開かなくなっていた2門の巨大な鉄門が残されていたことが分かった。
人海戦術で周囲の雑草を取り除いていくにつれ、当初は小さな廃墟のように見えた場所が、複数の部屋に囲まれた広い内部空間へと続いていることが明らかになり、計画中の軍事施設だった可能性があるとラオ氏は述べている。
遺跡を調査した専門家は、この場所はイギリス軍時代の兵站兼警備所であり、30人から40人程度の兵士を収容可能だったと分析した。
また、門の大きさと強度から、馬、そしておそらくは象も飼育されていたことが示唆された。
この前哨地は、主要な軍事ルートであったバンガロールとチェンナイを結ぶ道路沿いの警備・監視拠点として機能していたと考えられている。
建造物の一部には、日光が差し込む入口が限られているなどの設計上の特徴から、囚人を拘留するために使用されていたとみられる小さな円形の囲いもあった。
修復に関わった専門家によると、イギリス軍はインド独立運動家らを暗い場所に閉じ込めることが多かったと説明している。
建物の公式記録をたどる試みは、現時点では成功していない。
現地で入手可能な軍務記録は1839年頃まで遡ることができるが、この前哨地についての記載はなく、それ以前に建設された可能性が示唆されている。
専門家は、建設技術と資材を基に、この建造物の建設年代は19世紀初頭の1810年代ごろ、イギリス軍がこの地に駐屯していた時代に遡ると推定している。
古地図や歴史的資料によると、現在の空軍司令部病院(Air Force Command Hospital)地区につながる大規模な軍事ネットワークの一部として形成された可能性があるという。
同病院では当時、イギリス兵とその家族が治療を受けていた。
歴史的に、この前哨地はイギリス領バンガロール民兵基地(British Bangalore Civil and Military Station)に位置しており、1799年のシュリーランガパトナ条約(Treaty of Srirangapatna)*後、ティープー・スルターン(Tipu Sultan)*がイギリスとの戦闘で失脚すると、同地域は重要な軍事地域となった。
その後、兵士の駐屯地、訓練場、射撃場、ポロ競技場が設けられた。
この土地は1949年に、当時のマイソール州に移管されるまで、イギリスの統治下にあった。
*シュリーランガパトナ条約(Treaty of Srirangapatna):
1799年に締結された条約で、第四次マイソール戦争の終結を定め、マイソール王国の領土分割とイギリス東インド会社の影響力拡大を決定づけた。
*ティープー・スルターン(Tipu Sultan):
18世紀後半のマイソール王国の統治者で、イギリス東インド会社に対して激しく抵抗した人物。1799年の戦闘で戦死し、同王国は事実上イギリスの支配下に置かれた。