初めての国際便は、エア・インディア
Posted on 13 Jun 2025 21:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh
機内や地上で巻き込まれた人々の、叶わなかった願いや目標を思います。
国営時代のエア・インディア(Air India)といえば、2001年11月、成田発ムンバイー行き、わたしが人生で初めて手にした国際便チケットという縁がある。
このころの便は、成田を出発してもムンバイー(サハール空港)にノンストップで直行するのではなく、途中、バンコクのドンムアン空港、デリーのインディラ・ガーンディー空港を経由していたものだったが、その調子でムンバイーの先の目的地にも飛行を続けていたのだろうか。
軽くネットを検索してみると、当時のものに近いとみられる2003年のルートマップを、Hiren PunjabiさんのPinterestに見つけた。
国際便に乗ったのも初めてながら、インド人たちの発する香のようなスパイスのような独特の匂いに包まれたこと、バンコクで清掃スタッフとして機内に入ってきたタイ人たちの話すタイ語の響きに触れたこと、離着陸したデリーの街が停電しているのか真っ暗だったのが空から分かったこと、すべてが強烈な記憶に残っている。
あれから早くも20年以上が過ぎ、数え切れないほどのすばらしい出会いと、そうした人々の善意に恵まれ、インドの大地で生きてきた。
コロナ禍で一時帰国する際に利用したのも、某日系エアラインと違って良心的な運賃で運行していた、国営時代のエア・インディアだった。
わたしにとっては、そんな特別な思い入れのある航空会社が、ここ数年で最悪とされる墜落事故を、あろうことか学生寮を含む民間の建物を巻き込む形で起こしてしまった。
機上でも地上でも、たくさんの方々が犠牲になり、ひとりひとりの人生を思うと、やりきれない。
原因はこれから究明されていくものと思われるが、ある航空専門家は、アーメダーバード空港周辺に多発する野鳥によるバードストライクではないかと分析。空港周辺に住宅や田畑、食肉加工場が立地する国内空港で、こうした事故は再発し得ると強く警告していた。
また、事故の責任を負うエア・インディアの現在の経営者であるタタ(Tata)グループは、遺族らに手厚い補償金を用意することを表明している。
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Yoko Deshmukh
(日本語 | English)
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.
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