ヒンドゥ新年グディ・パドワ(Gudi Padwa)

 

Posted on 08 Apr 2016 23:00 in ASKSiddhiのひとりごと by Yoko Deshmukh

マハーラーシュトラ州では毎年、写真のように棒の先にボウルをかぶせ、ニームやマンゴーの葉と固い砂糖菓子、オレンジ色の布を下げた「グディ」を、窓の外に突き出して新年を祝うシンボルとします。



*Representational image, from a copyright-free space

本日は、主にマハーラーシュトラ州のヒンドゥ教徒の人々が、月の暦に基づき新しい1年の幕開けを祝う日、「グディ・パドワ(गुढी पाडवा:Gudi Padwa)」だった。

古代から占星術が発達していたインドの人々は、太陽が星座の始まりである牡羊座の位置に来るこの日を、春の始まり、すなわち「新春」とみなしてきたのだろう。

インド人の占める割合が50%の2人世帯である、わが家では、こうした伝統的な年中行事から、すっかり距離を置いた生活となってしまった。

しかし、この日に新しいことを始めると縁起がよいとされているので、夏休みを利用して補修予備校に通うため、来月からプネへやってくる予定だった、マハーラーシュトラ州片田舎の町アコラ(Akola)にある理工学系の大学で勉学に励む20歳の姪っ子を、ANA格安運賃を活用して今年はいよいよ、日本に連れて行こうということになり、本日チケットを予約した。
姪っ子の日本初上陸は、6月中旬になる見込みだ。

海外ばかりかインドを出たこともないし、比較的都会といえばプネぐらいしか知らない女の子が、はじめての先進国、日本で、何をどう感じるのか。
そして若く好奇心旺盛な眼を通して、わたしの故郷が、どう見えるのか。
今から、とてもワクワクしている。

思えば、わたしは高校生ぐらいの時から自信がまったくなく、姪っ子の年齢のころから、はっきりと鬱気味であることを自覚していた。
大学を中退し、いよいよ何もなくなったわたしが唯一得たものは、インドという国との繋がりで、それすらなければ、今ごろどうなっていたか想像するだけで恐ろしい。

とはいえ十数年が経ち、インド在住歴もすっかり長くなった今も、相変わらず自信はないまま。
油断すると鬱が肩のあたりをずんと押さえつけてくる。
この国の抱える圧倒的な問題を日常的に前にした無力感も、影響しているかもしれない。

今、インドのおかげで巡り会った好きな仕事をしているし、そこそこの収入を得られるようになってきて、インドと日本と2カ国に税金を納め、複数の機関に寄付もし、そしてインドと日本の家族に、いっぱしに仕送りをできるまでになったのに、いつまでも「自分は役立たずの人間」という気持ちのままだ。

そうした中、長年温めてきた夢を今回、ようやく実行し、形にすることができたことは、ほんの少しの自信に繋がった。

姪っ子が日本から何を得て帰るか、そして将来、日本にまた戻ってくるか、それとも他のどこかの国に行ってしまうかは彼女次第としても、初めての海外滞在は必ず一生の思い出になるだろう。
長年経って、この日々を振り返れば、いつもそこに、姪っ子に愛情を寄せる、わたしたちの顔があるのだ。
人間として生まれたわたしたちは、ドラッカーが言うように「何をもって憶えられたいか」で人生の満足感が変わるのだなと、少し実感した次第だ。

快く夢を応援してくれた夫と、「好きなだけ福岡の家に滞在すればよい」と言ってくれた日本の母、そして気立てがよく、純粋で、必ず日本滞在を素直な気持ちで楽しんでくれるであろう姪っ子に、改めて感謝したい。

そして自分の持てるものを新しい世代の誰かと共有した、まさに本日、ささやかな種が、思いがけなく実りそうな報せが舞い込んできた。
この話が具体的に進むか否かは、まだ分からないが、実現すればキャリアの上で大きなステップアップとなり、仮に実現せずとも、またひとつの自信を与えてくれるだろう。
これは偶然ではなく、必然なのだと思っている。

どこかの誰かに見返りを求めず何かを分けたとしても、バケツに新鮮な水を満たすためには古い水を捨てなければならないように、必ず何か新しいものが入ってくる。
「分かち合う」という言葉は、そういう意味を含むだろう。

新しい1年が幕を開けたグディ・パドワに、そのようなことを思った。






About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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