「インターネットはマハーバーラタの時代より」発言からの、インドにおけるインターネット史
Posted on 21 Apr 2018 21:00 in インド科学技術 by Yoko Deshmukh
冗談なのかなと思っていましたが、そうでないとしたらこの州首相を選んだ人たちは一体。
インターネットがなければ、わたしがインドに来ることは恐らく決してなかっただろう。
2001年、日本でもさほど広く普及しているとは言い難かったWWW(World Wide Web)があったおかげで、わたしはインドで働くIT技術者と電子メールで繫がることになり、その人との対話を通じてインドに対するイメージが変わり、この国に足を踏み入れてみようという気持ちになったのだ。
そしてインターネットがあったおかげで、このASKSiddhi(アスクスィッディ)を2003年に立ち上げ、以来ずっと運営し続け、これを通じてさまざまな出会いや機会に巡り合うことができた。
ただし「インターネットが人生を変えた」という説は、今や奇跡でもなんでもなく、大なり小なり人々の日常になっていることだろう。
だから、トリプラ州で3月に就任したばかりのビプラブ・クマール・デブ(Biplab Kumar Deb)州首相がアガルタラー(Agartala)で開催された公共事業関連の催しで、「インターネットと衛星通信は、古代叙事詩マハーバーラタの時代からインドに存在していた」と主張し、しかもそれが冗談で発言されたものではなかったらしいことが、ソーシャルメディア上で大騒ぎに発展しているさまを見ると、インターネットがわたしたち人類の生活に不可欠なものでありながら、その起源を知る人は非常に少ないのかもしれないということは、改めて感慨深い。
インドのインターネット史を綴った本日の「The Better India」の以下タイトルの記事が、こうしたことを考えるきっかけをくれた。
Do you know How And When The Internet Came to India? Come Find Out
日本大百科全書によると、インターネットの世界的な起源は「1969年にアメリカ国防総省の一機関であるARPA(高等研究プロジェクト局)が出資して始めたプロジェクトによってつくられたARPANETが母胎となった」とある。
インドでは、インド電子工学庁(Department of Electronics:DoE)と国連開発計画(United Nations Development Program:UNDP)の共同出資により、主に教育と研究における相互通信を目的として、1986年に初めて「教育研究ネットワーク(Educational Research Network:ERNET)」という名称でインターネットの前身が立ち上がった。
最初のERNETは8つの主要機関であるDoE、インド理科大学院(Indian Institute of Science:IISc)、ベンガルールにある国立ソフトウェアセンター(National Centre for Software Technology)、そして5つのインド工科大学(IITデリー、ボンベイ、カンプール、カラグプル、マドラス)を繫ぐキャンパス間ネットワークサービスとして機能した。
ここではIIScが長さ1キロ超の地下イーサネットケーブルを敷設し、関係部門間や大学間での通信を可能とする電子メールサーバーを確立した。
インドのERNETプロジェクトは、1970年代のネットワーク研究の先駆け的企業である米ベル・ラボ(Bell Labs Inc.)を退職して1988年から総指揮を務めたアヌラグ・クマール(Anurag Kumar)氏以下で結成された有能な研究者チームの指導のもとで実行された。
クマール氏はデータネットワーキングの技術や訓練だけでなく、国家機関であり、旧来の階層構造が革新の邪魔になっていた8の団体や大学に国際的な企業文化をもたらした上でも、その後に続くIT大国インドの土台作りに貢献した。
1992年までにERNETは国内初のインターネットサービスプロバイダーとなり、他の大学もネットワーキングサービスの利用を開始した。
それからわずか3年後の1995年8月15日、「Videsh Sanchar Nigam Limited(VSNL、現在の「TATA Communications Ltd」)」が設立され、インターネットの一般向けサービスの提供が始まった。
VSNLは、モデム(アナログ信号をデジタル信号に変換し、コンピュータが電話回線やケーブル回線でデータを送信できるようにするデバイス)経由でインターネットアクセスを提供した。
しかし当初はメインネットワークに接続するために繰り返しダイアルする必要があり、しかもたびたび回線が途絶したので、「ウェブサーフィン」も一苦労だった。
わたしもその時代からのユーザーであり、かつマハーラーシュトラ州アコラ(Akola)という通信環境が時に絶望的な環境に陥る場所に2カ月間暮らしていたため、嫌というほど味わった痛みだ。
インドで黎明期だったインターネットの早期普及に尽力した人たちは、影響力のある人々で構成された「インド・インターネット利用者クラブ(Internet Users Club of India(IUCI)」と呼ばれる人たちで、中にはボリウッド俳優として名高い故シャンミー・カプール(Shammi Kapoor)さんも含まれた。
その後、モザイク(Mosaic)やネットスケープナビゲーター(Netscape Navigator)などのウェブブラウザーが登場し、また「全国ソフトウェア・サービス企業協会(National Association of Software and Services Companies:NASSCOM)」による公開実演などを通じて普及に努めた。
2年後の1997年にはサービス総合デジタル網(Integrated Services Digital Network:ISDN; ”電話、データ通信、ファクシミリなど、従来はばらばらに建設されていた電気通信網を、光ファイバーケーブルや通信衛星を用いて統合し、顧客に提供するシステム。1980年に国際電気通信連合(ITU)の前身の国際電信電話諮問委員会(CCITT)が提唱した国際的な共通規格 [日本大百科全書]”)へのアクセスが導入され、1998年3月までにインドのインターネット加入者数は急増し、9万人に達した。
それからのインドは、2000年代までは主に農村部のインターネットユーザー数こそ伸び悩んだものの、スマートフォンの普及により爆発的に増加し、今に至っている。
なお、わたしが初めてインドに渡航した2001年当時、シッダールタはオフィスから常時インターネット接続していたが、わたしは当時スマートフォンなどあるはずもなく、行く先々でネットカフェを探しては1時間20ルピーで毎日2時間ほど利用し、行きつけの店では使用したマシンに「日本語フォント」を勝手にダウンロードして次回訪問した時に不自由なく日本語のタイピングおよび日本語ページの閲覧ができるようにしていた(が、ネットカフェ側に初期化されて元の木阿弥になっていることもよくあった)。
「The Better India」の記事によると、地方の小都市などを中心に、インド国内には依然として7万5,000軒以上のネットカフェが存在するらしい。
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Yoko Deshmukh
(日本語 | English)
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。
ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.
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