近年の体調不良と「折り合い」について

 

Posted on 09 Oct 2024 21:00 in うつとわたし、そしてインド by Yoko Deshmukh

SNSにはシェアしないで、ひそかにつづります。



インドと深く関わるようになって、今年で早くも20年を迎える。
それは、インド移住の少し前に訪れた、うつとの戦いの歴史とほぼリンクしている。

このシリーズは、今まさに「顕在性うつ状態」で「全般的不安障害」という診断を受けて、微量ながら毎晩服用の薬を処方され心の病気と闘っているわたしが、不定期だが覚悟を持ってつづっている。
日によって気分の浮き沈みがあるため、つづれない日もあると思うし、その分量も変化するし時間軸も前後し、また、後日もろもろ加筆修正することも大いにあり得る。
いつも通りの「インドよもやま話」に戻る日もあると思うが、このシリーズは、いずれきちんとした形でまとめる予定である。


*****

折り合いのあまりよくない親戚がいる。

初めてAに会ったのは、まだ5~6歳くらいだったと思う。
かわいらしい子どもだった。
我々がまだ日本に住んでいたころは、アンパンマンやバイキンマン、ドキンちゃんなどのパペットやぬいぐるみを手土産にしたり、「空手」だか「柔道」を習っているということで、当時は存命だった父がわざわざ取り寄せてくれたキッズサイズの道着を贈ったりしたこともあった。

プネーから軽く十数時間はかかる陸路しか手段がない、かなり遠く離れた町に住んでいたため、つかず離れずの付き合いをしてきたAが20歳になったというある年に、当時たまたま展開されていたANA(全日空)の格安キャンペーン運賃を利用して日本に連れて行った。
家族のおかげでこれまで生きてこられた自分にとって、少しは恩送りができるかなという気持ちがあった。
その際は母の快諾をもらい、福岡の実家に3週間ほど滞在しただろうか。

以来、特に将来のキャリア志向もないままに、周囲に流されるような形でプネーに出てきて、既に田舎で大学を修了していたが、夫の出資にて日本語学科のある大学に入り直した。
語学力はどちらかと言うと中の下といったところだったが、持ち前の要領のよさで、Aが通っていた大学に募集が来ていた文科省や経産省など主催のスキームで、短期的な日本への渡航機会を立て続けに得てゆく。

そうして獲得した機会のひとつであったインターンシップ先が、偶然にも、わたしが(一方的に)よく知る中小企業であった。
経営者の方々が人情味あふれるすてきな方々で、すばらしい商品を含めその会社が大好きだったわたしは、その話が決まった時にはまさに運命的と、とても喜んだ。

短期間のインターン中、本人は就職の希望を伝えたが当初、同社はAの雇用は見送るご判断をされていた。
信じられないほどド田舎出身の、どちらかと言うと教養も乏しいAが、もしかすると日本の大都市で就職できるかもしれない、そのチャンスがあるとしたらその時しかないと考えてしまったわたしは、その会社に息づく古き良き「昭和っぽい精神」に訴える戦略を吹き込み、もう一度トライするよう励ました。
当時のわたしは、Aにはそれなりの思い入れがあった。
(かなり後日になり本人から聞いた話では)Aはわたしのアドバイスを聞き入れて行動、(それだけではないとは思うが)同社はその後訪れたコロナ禍にもかかわらず、正社員としてのポストをくださった。

日本に住む母の協力などを得ながら、Aは晴れて正式な就労ビザを取得、日本に渡航した。
その後は「人並み」の苦労もしたのかもしれないが、ほどなくマッチングアプリを使い始め、とあるタイミングでとある日本人とマッチ、「プロポーズされたから」とあっさり結婚してしまった。
この一連の行動が、日本へ渡航してわずか2年足らずの間に起きたので、「就職を口実に、永住目的で日本に行ったのでは」と陰口をたたかれる始末。

それを察してか否かはわからないが、その前後から、Aは我々を「口うるさい」枠とみなしたらしく、「なんか頼み事がある時」以外は連絡をほとんど取らなくなった。
いろいろ言われたり、聞かれたりすると思って、面倒くさかったのだろうか。
我々も、自分の親などにはこまめに連絡している様子であったことと、浮かれている本人に何を言っても無駄だし、第一もう手遅れだしと、スルーしてきた。
Aはとっくに、わたしの知る「かわいいAちゃん」を卒業していた。

そうした中、ひさびさの連絡があった。
ことし春、わたしの祖母が亡くなったときだ。
それは「日本人配偶者との連名」で、ウェブから例文をコピーペーストしただけの日本語の弔文だった。
わたしは(人が悲しんでいる時にコピペ文を投げてよこされたことが)「残念であり、さらに悲しい気持ちになったこと」、「(ましてや日本人配偶者の名前も記載している点から)大変な失礼に当たること」を伝えはしたが、いつも通り無視され、今に至る。
そして、Aの返信を待ってしまう自分と決別するためにも、Aと(巻き添えにして申し訳ないけど)日本人配偶者の連絡先をブロックし、またわたしの連絡先からも抹消した。

同時に、わたしの中でのアイデンティティーのようなものまで見事に崩壊してしまった。
インドに住んで20年、この国になじめているのかも心もとなく、偉大な功績を上げたわけでもなければ、著名になったわけでもない、現地語が堪能になったこともないけど、コツコツと何かを積み上げてきたように思っていた。
それは、日本人としての自分のルーツも、多かれ少なかれ重要な役割を果たしてきたと思っていた。

しかし親戚と思っていた生まれも育ちも農村のAが、表面上の「ジャパン・ドリーム」を実現した途端、これまでのルーツを捨て去り別人のように振る舞い始めたこと、そしてそんなAを嫌悪し、またどこかバカにしているわたしの狭量さ、そして日本を離れインドで生きていくことを決めたものの、何ら達成できていないわたしの全人生を否定されたような気持ちが、もともと風前の灯のようだった自信を完全に消失させた。
すべてを知る家族はどん底に落ちたわたしをひたすら見守ってくれ、なにかと気遣いしてくれて、「恩送り」なんてとんだおごりだったと、また落ち込んだ。

しかも、本当はもう存在しない、自分には無関係な人だと忘れ去って、立ち直りたいのだが、Aの直近の家族が、よりによって諸事情によりプネーの至近距離に引っ越してきており、頻繁に行き来がある。
そのたびに(その家族はAとは)別人格であると自分に言い聞かせて何事もなかったように接するよう努めている。

それにしても、その家族からも不気味なほどAの話題が出ない。
数年前に突如、その家族から旅立っていった故人の話はたびたびするのに。
こちらが敢えて、たとえばAの住んでいる都市や地域のことを話題として振っても、まったく乗ってこないどころか、話を変えようとする素振りすら感じる。
Aに口封じでもされているのか、何か不穏なものを感じ取っているのか、そこを突っ込むことは「家族の危機」をトリガーしかねないと言われているので聞くこともできない。

風の噂では、Aは我々の置かれている状況やその葛藤などおよそ無頓着に、自分の幸せな結婚生活を赤裸々に開陳するSNSアカウントを開設、どうせ暇すぎる田舎(出身地含む)の連中が中心だろうが、相当数のフォロワーを集めた「インフルエンサー」になっているそうだ。
とても喜ばしく、頼もしいことだと思う。
そのまま元気でやっていってくれればと、陰ながら願う。

わたしも、おかげさまでゼロに戻った気持ちで、またコツコツと何かに取り組みながら、アイデンティティーを再構築しようと画策している。
そして確かに、わたしの今までのインド生活は、すばらしい人との出会いに恵まれすぎるほどだった。
しかし偶然親戚となったAとの、このような奇縁があったことで、良好な関係とは双方の努力の成果であり、また生涯続くとは限らないこと、物事に白黒は簡単につけられないこと、人は欠点まみれであることを、Aを反面教師として繰り返し自問・自省することによって深く考え、学ぶことができた。
これは、わたしの今後の人生に大いに役立つだろう。

最初はためらったし、ここまで読んでくださった方々には、お目汚しを申し訳なく思う。
しかし、このようにありのまま自分の身に起きたことを文字に書き起こすことで、気持ちが整理できたし、建設的になれそうだ。
これからは、前を向いて進んでいきたい。

※直近1週間の気持ち: 劣等感、無気力
*Current set of medications: Serlift 25mg(自己判断で少しずつ減薬中)


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About the author

Yoko Deshmukh   (日本語 | English)         
インド・プネ在住歴10年以上の英日・日英フリーランス翻訳者、デシュムク陽子(Yoko Deshmukh)が運営しています。2003年9月30日からインドのプネに住んでいます。

ASKSiddhi is run by Yoko Deshmukh, a native Japanese freelance English - Japanese - English translator who lives in Pune since 30th September 2003.



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