国際翻訳デーだった30日、わたしはいつもの通り、ぼーっと過ごしてしまったが、「The Hindu」に、インドの諸言語における第一線の翻訳者たちによる論考が掲載されていた。
翻訳は、1冊の本や1編の物語を通じて、これまで触れたことのなかった異文化と邂逅させてくれるものだ。
その意味でも、インド諸言語の翻訳作品を、もっと積極的に手に取ってみたい。
下記、マラヤーラム語翻訳者たちによる寄稿の抄訳を示している。
International Translation Day: What the power of being understood means
※Prasanna Varma氏。
今年の国際翻訳デーのテーマは「言語の多様性と言語の権利(Linguistic Diversity and Language Rights)」で、副題は「理解される力(The Power to be Understood)」である。
文章を翻訳するという行為は、逐語的に一語一語を別の言語に置き換えるだけのものではない。
好奇心を抱く読者に、これまで決して知ることのできなかった、新しい世界を見せる力を持っている。
たとえば、ケーララ州の小さな町に住み、マラヤーラム語を日常的に読んでいる人が、ほかにどのような方法でPaulo Coelhoの『The Alchemist』に触れ、そこに希望や安らぎ、人生の目的を見いだすことができただろうか。
Rema Menonが翻訳し、DC Booksが出版した同作は、翻訳書のベストセラーのひとつとされている。
一方、Thakazhi Sivasankara Pillaiによるマラヤーラム文学の古典『Chemmeen』は、世界で20を超える言語に翻訳されているという。
Prasanna Varma氏は、Manu Pillaiの『The Ivory Throne』『Gods, Guns and Missionaries』、Yuval Noah Harariの『Homo Deus』、Shehan Karunatilakaの『Seven Moons of Maali Almeida』、最新の翻訳作品として『The Complete Memoirs, of Pablo Neruda』などをマラヤーラム語に翻訳している。
※Catherine Thankamma氏。
優れた翻訳は、読者に異なる世界の現実や経験の存在を意識させ、共感を生み出す。
翻訳者が目指すのは、翻訳先の言語を巧みに操り、その構造的な枠組みを曲げたり、ねじったりしながら、原文に忠実であり、その味わいと生命力を保ちつつ、読みやすさを損なわない翻訳を生み出すことである。
とはいえ、翻訳者が直面する問題が「理解することの拒絶」であるならば、翻訳者にはどうすることもできない。
そして、この問題は憂慮すべき勢いで増えている。
たとえば、Adania Shibliによる力強いパレスチナ小説『Minor Detail』(2017年)を見てみよう。
構成的に見事であり、その衝撃も圧倒的な作品で、Elisabeth Jaquetteが英訳を手がけた。
「The Hindu」によると、2023年のフランクフルト・ブックフェアで予定されていた授賞式は、「政治的圧力」を理由に中止された。
なお、主催者Litpromは、賞自体を取り消したものではなく、授賞式を別の時期に延期する判断だったとしている。
より身近な例では、Narayanの『Kocharethi』がある。
同作は複数の賞を受賞し、インドの5言語とフランス語に翻訳され、カルガリー大学の文化研究(Culture Studies)のシラバスにも採用されている。
それにもかかわらず、特権的な立場にある原語コミュニティーのエリート層からは、言及されることも、評価されることもないままである。
Catherine Thankamma氏は、Narayanの『Kocharethi』、Ajai P Mangattuの『Susannayude Granthapura』、Sethuの『Aliya』、Paul Chirakkrodeの『Pulayathara』などのマラヤーラム語小説を英訳している。
社会改革者を描いたMR Renukumarの伝記『Ayyankali: The Life of a Crusader for Social Reform』も近年の仕事のひとつ。
短編集に『A Kind of Meat and Other Stories』がある。
※Santhosh Alex氏。
翻訳は科学であると同時に、芸術でもある。
ある作品を別の言語に翻訳するつもりで読むとき、最初に考えるのは、その作品が翻訳先の読者にどれほど適応できるかということだ。
インドのある言語から別のインド言語へ翻訳する場合、その精神や感情には共通するものがある。
文法や構文についても同様だ。
しかし英語への翻訳となれば、文化を全面的に移し替える必要があり、そこではある程度、自由な翻訳をしなければならない。
英語に相当する言葉が存在しないインドの言葉については、脚注で説明しなければならない場合もある。
それでもなお、ひとつの世界と、そこでの経験のすべてを別の言語環境へ運ぶためには、翻訳者がある程度の自由を取らざるを得ない。
翻訳というプロセスは、決して簡単でも、滞りなく進むものでもない。
どの作品にも、その作品ならではの重みがある。
書くという行為が創造であるなら、翻訳とは、新たな土壌で再び創造する行為だ。
Santhosh Alex氏は詩人、作家、多言語の翻訳者。
5つの異なる言語で執筆する50人以上の作家を、英語、ヒンディー語、マラヤーラム語で紹介してきた。
KG Georgeの映画について論じたヒンディー語の著書『KG George ki Filmein』も出版している。
※Sunil Naliyath氏。
今日の世界では、言語的、文化的な多様性が次第に狭められており、その状況は非常に憂慮すべきものである。
そうした中、今年の世界翻訳デーに選ばれた副題『理解される力』は、インドのような国にまさに光を当てるものだ。
そして、特に地域言語と、より恵まれない立場に置かれている言語との間において、翻訳者と翻訳は、切実に必要とされている新しい風を吹き込むことができる。
幸い、翻訳に献身する人々の存在によって、翻訳は速いペースで進んでいる。
私は希望を持ち続けている。
言語的にも文化的にもこの国を分断しようとする意図的な動きがあり、さらにほかの社会領域では、それ以上に攻撃的な動きさえ見られる現在、翻訳者には、より大きな役割があると考えている。
翻訳は文化的統合の重要性を示し、言語にはさまざまな違いがあっても、わたしたちはひとつなのだという感覚を改めて呼び起こす。
人工知能が登場した今、翻訳者が自らの価値観を守り、人間らしさを保ち続けることも、同じように重要だ。
私が本格的に翻訳に取り組むようになったきっかけは、偶然の出会いだった。
私は理論を重視する翻訳者ではないし、特定の方法論に固執することもない。
まず読者として自分の心を引きつける作品を選び、その後で翻訳者として向き合うのだ。
作家であり翻訳者であるSunil Naliyath氏が手がけた翻訳作品には、Mahasweta Deviの『Operation Bhashai Tudu』のマラヤーラム語訳などがある。

ASKSiddhiは、Noteでも記事をアップしています。
今後メンバーシップを利用した企画なども考えていますので、
よろしければフォローしてみてください。